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2016年10月5日水曜日

杉本博司とレイ・メツカー

さいきん新装開店した二つの会場で性格の異なる写真展を見ました。

東京都写真美術館 杉本博司 ロスト・ヒューマン

展示は3階と2階にわかれており、まず3階から入るように指示されます。

おなじみの「海景」の一点を観ながら入場すると、錆びたトタン板で区切られたブースの連続に放り込まれます。絶滅した人類の標本を集めた廃墟のような空間で、ありとあらゆるガラクタのようなコレクションが展示されており、杉本の写真もその中のひとつに過ぎないという位置づけになっています。蝋人形のレーニンやカストロもこのように展示されていると、まさにこのために撮ったという感性が伝わってきます。
それぞれのブースには「私は○○、今日世界は死んだ、もしかすると昨日かもしれない、・・・」というフレーズから始まる手書きの文章が貼られており、ディストピア小説を読むように読み進めていくこともできます。とても全部を読む気力もなく、未来の廃墟の中をさまようだけで精一杯でした。(文章は展示案内に採録されているので、後でゆっくり読むことも出来ます)

展示されている「標本」を見ているだけで色々と想像をめぐらすことが出来ます。個人的には満州国の勲章やマッキントッシュSEが気に入りましたが・・・

3階展示の終盤近く、裸のマネキンが寝そべったソファーを小窓から覗き見るブースがあります。どこかデュシャンの遺作を思わせるようなセッティングで、ひょっとしたら杉本はこの展示を遺作にするのでしょうか?

再び「海景」の一点を見て2階へうつると、まったく違った雰囲気になります。
展示室を対角線で区切った大きな空間に、「劇場」シリーズと「三十三間堂」シリーズが背中合わせに展示されています。

「劇場」も、よく観ると今まで観てきたものと違って「廃墟劇場」となっており、3階の延長のように思えます。観客が居なくなった廃墟で映写されている人類の過去の記憶ということでしょうか。

最後に隔壁を回って三十三間堂の仏たちに対峙していると、杉本の意図がおぼろげに見えて来るような気もします。

 ※ ※ ※

明治通りの渋谷橋まで歩き、新橋行きのバスに乗って中の橋下車。 田町から移転したPGIに初めて入りました。入り口のインターホンを押して来意を告げると鍵が空いてビルに入れるようになります。どこか秘密クラブのようなワクワク感!


レイ・メツカーという写真家は初めて知りましたが、ハリー・キャラハン達に学んだという経歴を見て納得。一枚ごとの完成度の高さには驚嘆します。

道路の水溜りに映ったビルなど、どこか習作のような表現ではあるのですが、それを作品たらしめようという強烈な意思を感じます。
プリント一枚ごとに完結する構成の美しさや力強さは、杉本のコンセプチュアルな展示とは異なる写真表現の極北をみる思いでした。

2016年10月2日日曜日

横内勝司写真展 時を超えて


知られていないすごい写真家がいた、という展示がこのところ目に付くようになりました。
先日観た塩谷定好に続いて、ほぼ同世代といえる横内勝司というアマチュア写真家の展覧会を観る機会がありました。
(四ツ谷 ポートレートギャラリーにて 10月5日まで。)



年譜によると1902年、松本に生まれ、1936年に早世したアマチュア写真家です。

プリントは殆ど密着焼きで丁寧に残されているそうですが、数年前に1000枚あまりの乾板が見つかり、これをデジタルカメラで複写して新たにインクジェットプリントしたものです。

満足な露出計などなかった時代ですが、乾板の露光や現像はきわめて適切で、シャドーのつぶれもハイライトの飛びも殆どないそうです。 おそらく独学で、雑誌や書籍などを頼りに学んだのでしょうが、現在とは比較にならないほど情報が乏しい中で創り上げたとはおもえない作品ばかりです。
ずいぶんと試行錯誤をしたと想像されますが、当時の乾板は一枚50~60銭だったので、現在の貨幣価値に直すと数百円以上にはなりそうですね。

われわれもシートフィルムが高くなったと嘆いているばかりでは駄目だと反省させられました。