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2019年6月11日火曜日

うつくしきゼラチン・シルバー・プリントの世界

6月8日(土)、研究会の例会終了後に有志(出席者のほとんど全員)が写大ギャラリーで開催中の「うつくしきゼラチン・シルバー・プリントの世界」を見学しました。
普段は静かなギャラリーも、この時ばかりは十数人のメンバーで混雑しました。

展示されている写真はエドワード・ウェストン、イモジン・カニンハム、エドワード・スタイケン、ポール・ストランド、ウィン・バロック、マイナー・ホワイト、石元泰博、柴田敏雄、土門拳、中島秀雄、村井修、渡辺義雄、など古今の一流写真家のものばかり。
なにより、研究会の中島代表の作品があり、ご本人の解説で時ならぬギャラリートークが繰り広げられました。気がつけば1時間半ほどがあっという間にたってしまいました。

ポスターの写真は中島代表の Strange of Light
ちょうどこの時、階下のホールでは日本写真芸術学会の年次大会が開かれていたようです。

こんにちはアクロスII

昨年1月にアクロスへの惜別を書いたのですが、6月10日付でアクロスIIの発表がありました。われわれの助命嘆願がほんのわずかでも功を奏したのでは、などと喜んでいます。
5月にはひっそりと予告が出ていて期待していましたが、相反則不軌を気にせずに撮れるフィルムの復活はありがたいものです。
さあ、この上はシートフィルムの復活も働きかけましょう!

2019年5月29日水曜日

空港のX線検査

1週間ばかりの海外旅行から帰国しました。
ブローニーフィルムを十数本持っていったので空港のX線検査が心配でしたが、写真のようにジップロックに包み、セキュリティチェックの前に"Hand check, please."といって差し出せば大抵は目視で検査してくれました。
往復合計4回のチェックのうち、1回だけフランスの地方空港では「オーケー」といいながらそのままX線を通されましたが、まあ大丈夫でしょう。
フィルムカメラなど見たこのない人も多いとは思っていましたが、同様にTMAXの検査を頼んでいる中国人と思しきカメラマンもあり、まだまだ一定の需要はありそうです。

5月28日の夕刻に羽田に戻りましたが、「トランプ大統領が帰ってくれてやれやれだ・・・」という空港職員の会話もきこえてきました。もう少し早く着いたら大変だったかもしれません。
さて、これからの現像も大変です。

追記: ぼちぼち現像を始めました。イルフォードHP5+をEI250設定で使いましたが、X線の影響はなさそうです。

2019年5月20日月曜日

渋谷の変貌と藤田修展

研究会の今年のテーマは「都市の変貌」ですが、渋谷の変貌も激しいものがあります。かつて「エピキュラス・ホール」というレコーディングスタジオがあった辺りから見下ろすと、街の一角が丸ごと取り壊されている様子を眺めることができます。ここで録音された「水野修孝 ジャズ・オーケストラ’75」というLPを聴いたときの驚きはいまだに忘れることができません。(値段から2枚組みと思い込んで買ったら1枚だったこと、録音溝の幅が恐ろしく広いことも!)

そんなことを考えながらR246を下って池尻まで歩き、モノクロームギャラリーレインの「藤田修 KARAZURI」展へ。
届いたDMはほとんど真っ白で、どんな展示かわからずにお邪魔したのですが、この「KARAZURI」というのはフォトポリマーグラビュール技法の応用で、詳しくは6月1日にアーティストトークがあるそうです。https://monochromegalleryrain.com/

ギャラリーでは写真家のD氏と偶然お会いしていろいろお話を聞くことができました。

2019年5月13日月曜日

かいつぶり

近所の公園を歩いていると、池の周りに望遠レンズや双眼鏡をもったひとたちが集まっています。
きけば、カイツブリのヒナが5羽かえったのだそうでそれを撮っていたのですね。(この写真には写りませんでしたが)
何年か前にテレビで放映されてから人気も上昇気味です。

2019年5月7日火曜日

冨永晋写真展 eight years after

世の中の十連休も開けた5月7日にキチジョウジ ギャラリーで「冨永晋写真展 eight years after」を観ました。http://kichijojigallery.com/

同じ作者による展示は毎年開かれており、出来る限り立ち寄るようにしています。
一見のどかな田園風景が広がっていますが、あれから8年経っても撮り続け、かつ展示し続けることが大切なことだと感じます。
写真にはほとんど人が写っていませんが、周囲には復興作業をする人たちが大勢いたそうです。入れる場所も私が想像する以上に増えているようですが、津波で流された車がそのままになっているところもあります。
令和になっても撮り続け、展示し続けてほしいと思いながら辞去しました。