ニエプスの時代から生成AIまで、語られる範囲が極めて広いのですが、その広範な話題は生成AIによる画像生成を論ずるための下地なのでしょう。以前読んだ甲斐義明著 「ありのままのイメージ」と並んで、写真について新たな視点を与えてくれる刺激的な本です。
「写真は死んだのか?」というタイトルは、19世紀に初めて写真を目にした画家が「今日から絵画は死んだ!」と言った故事からとられたのでしょうが、そのご200年近くたっても絵画は死んでいないのと同様、写真は死なないというのがこの本の結論です。その結論にたどり着くまでの論考がたいへん興味深いのです。
生成AIは画像をコラージュして出力するだけであり、写真を撮ることを楽しむのは人間にしかできないという、いわばまっとうな指摘もうなづけます。
また、著者の一人である大山顕氏についても認識を新たにしました。いままでは「工場萌え」や「ジャンクション」のような写真集の作者という程度でしか知りませんでしたが、飯沢氏と互角に写真を論じる論客だとは、失礼ながら初めて知りました。
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ところで、本書を読みながら「なぜカメラオブスキュラの画像が魅力的なのか?」という積年の疑問が頭をもたげてきました。大判カメラのピントグラスを眺めているだけでも飽きないのはよく経験するところです。写真の発明はカメラオブスキュラの画像を定着したい、という欲求から行われたのですが、現実世界と変わらない(むしろ薄暗く、三次元が二次元に圧縮されている)画像に惹きこまれるのが不思議です。素人考えですが、私たちの脳が画像処理するとき、現実世界より二次元画像の方が楽だからなのでしょうか?