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2013年8月24日土曜日

シュルレアリスムをめぐる二つの展示

シュルレアリスムをめぐる二つの展示を観ました。 どちらも会期末近くの駆け込みです。


鎌倉の近代美術館別館の野中ユリ展は、コラージュやデカルコマニーというシュルレアリスムでお馴染みの技法を駆使した素晴らしい展示です。

「青と黄のデカルコマニー」のシリーズは、未知の惑星に浮かぶ生命体のような、不思議な魅力に満ちています。

実のところ、私はこの作家について殆ど何も知らなかったのですが、一枚のコラージュの前で足が止まりました。 「シュルレアリスト群像」は、学生時代に買ったまま読み切れずにいる「シュールレアリスムの歴史」の表紙原画だったのです。
 懐かしさにしばらく行きつ戻りつしていると、静かな会場でご夫人同士の会話が耳に入ってきました。 「写真がゲージュツになるとは知らなかったワ・・・。」

作者の言葉には「夢の中の物質感は独特だが、作品を作り人に見てもらう形にするためには現実の物質を使うしかない。 アートの力で現実の物質を幻化窯変させなければならない。」とありましたが、様々な材料を組み合わせた夢を堪能することができました。

で、次は新宿の東郷青児美術館で「遊ぶシュルレアリスム展」

とても静かだった鎌倉とは対照的に、子供達が騒ぐのが気になりました。ブルトンたちも、90年後の異国で子供たちの「お遊び道具」にされるとは想像もしなかったことでしょう。
なぜかダリやキリコといった看板作品の前は比較的すいていてゆっくり観ることができました。

デカルコマニーの元祖ドミンゲスや、その周囲を観ると、先ほどの野中ユリとはその表現が随分と違います。 不定形のパターンを利用して何かのイメージを立ち上げようとしているのに対し、野中は純粋にパターンの面白さを追求しているようでした。

岡上淑子のコラージュも独特で、これらの分野では戦後の日本女流アーティストが世界の先端をいく作品を作っていたことを再認識しました。

観終わって窓の外を見ると怪しい雲がたれこめています。  急いで帰ることにしましょう。



2013年8月14日水曜日

ムサビのデザイン

写真とは直接関係ありませんが、小平の武蔵野美術大学で開かれている「ムサビのデザイン」展に行きました。



オリベッティとブラウンという、かつて(といっていいでしょう)デザインポリシーで一世を風靡した企業のプロダクトデザインを展示しています。
日本の家電はどのメーカーを見ても区別がつかないほど似た製品ばかりですが、この二社の製品には明確な主張と存在感があります。
イタリアの明るさと明快さ、そしてドイツの生真面目さと厳格さといえばよいでしょうか。

メーカーとしてのオリベッティはすでに役割を終え、最近のブラウンはひげそりと電動歯ブラシの会社になってしまったようです。 良質なプロダクトデザインを追及するには、IT分野の進歩や変遷があまりにも早すぎるのでしょうか。 いま、彼らの正当な後継者はアップルが担っているとも思えますが、これもいつまで続くことか。

形を変えた良き時代の「昭和レトロ」を観た気分でした。

2013年8月13日火曜日

写真作品のつくりかた

相変わらずの猛暑が続く中、写真美術館に行きました。

「写真作品のつくりかた」

「アングル」「焦点」「光のあつかい」「暗室作業」といった章立てで、白黒写真を主におなじみの作品が並んでいます。(9月16日まで)
カラー作品より白黒が、光を意識させることが再認識させられます。
カーシュの撮ったチャーチルやウォーホルのポートレートは見ごたえがあります。
またキャラハンの繊細な多重露光もオリジナルで見るとその美しさが際立ちました。
ゼラチンシルバープリントの歴史の深さ、表現の多様さ、そして美しさがよくわかる展示です。

階下の米田知子展には何の予備知識もなく入りました。
場所の持つ意味を問いかける作品ですが、台湾の日本家屋などはあたかも桂離宮のような佇まいで撮られています。 大きなカラープリントをつかみにもってくるなど、今風の展示でしょう。



恵比寿駅のスタバは表の席が殆どで、汗をたらしながら書く羽目になりました。
昨日のような大雨にならないうちに引き上げることにします。